水晶

印度の鳥葬という風習をご存知だろうか? 死者の遺体を禿鷲についばませることで弔うという、われわれ日本人には些かぞっとするヒンズー教の風習である。私は以前、印度へ旅行したときに現地ガイドに無理を言って、その場所へ連れて行ってもらったことがある。といっても外から眺めるだけで、塀で囲まれた中へは外国人であり異教徒である私は入ることは出来なかったのであるが。

印度では何処でもそうなのだが、外国人を見かけると必ず物売りが寄ってくる。この時も例外でなく私が写真を撮ったりメモを記していると一人の物売りの少年がやって来た。私は何も買うつもりはなかったけれど、少年がしつこいので品物だけはみることにした。少年が売っているのは、小さな直径5mm程の透き通った水晶のような球であった。私は宝石には興味がないので要らないというと、これはここでしか採れない記念のものだからどうしても買えという。私はここでしか採れないという言葉が気になったので、それはどういうことかと少年に尋ねた。以下はその少年から聞いた話。

ここに来る禿鷲は非常に大きくて何でも食べてしまう。屍体の肉だけでなく、骨も砕いて中の髄を食べるので、禿鷲が去った後には小さな骨欠片が残るだけで跡形もなく屍体は消えてしまう。だけど、そんな禿鷲でも二つだけ食べないものがある。一つは歯で、葬場の中は長年の放置された歯が砂利のように地面に敷き詰められているとのことだ。もう一つが変わっていて、それは人間の眼球の中にある水晶体という、ちょうどレンズの役目を果たす部分で、本物の水晶のように透き通った小さいな球体だ、何故か禿鷲は水晶体だけは食べずに吐き捨てるらしい。少年は月に一度、葬場に入って敷き詰められた歯の中に埋もれている水晶体を探して集めては、それをボロ布で綺麗に磨いて売っているとのことだ。小さな水晶体を傷一つなく綺麗に磨くのは結構大変な作業だと、少年は私に威張って言った。若い、それも女の方が大きな水晶体が採れるので、若い女が死んだときは、多くの者で取り合いになるのだそうだ。

2000/01/15 Sat(No.018)

 

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