耳なり

「耳なり」という言葉は今では「耳鳴」と書くものとされているが、実はそれは近代に入ってからの当て字ということを知っているだろうか。「耳なり」という言葉の文献上のもっとも古いものは「吾妻鏡」であると思われるが、それには「耳なり」と記述されている。以降、江戸時代に至るまで「耳なり」という記述が殆どである。「耳なり」を「耳鳴」と記述するようになったのは明治以降のことであり、それは近代化に伴い迷信や様々な言い伝えが非科学的なものとして排斥されるようになってからのことである。

「耳なり」のなりは、鳴りではなく形容詞のなりであり、この場合のなりはそのままという意味のなりである。道なりとか山なりとかのなりと同じということである。これは先に挙げた「吾妻鏡」に「耳なりに聞きし」という記述があることからして間違いないものと思われる。つまり、「耳なり」とは聞えるままの音を聞くというのが本来の意味である。

近代以前の日本人にとって人間が聞えると感じている音というのは、回りの音全てではなく、その極一部だけであるというのが普通の認識であった。世の中には聞えている以外の音がたくさん鳴っている。例えば、それは動物たちや山や河といった自然物の会話する声であったり、神々や霊のささやきであったりする。「耳なり」に聞くとはこれらの聞えざる音をそのままに聞くということであった。

それが明治以降近代化が進み、科学の名の元に霊や神々が迷信や世迷い事として排斥されるにつれ、それらの聞えざる音は単なるノイズとして片付けられてしまった。そして、聞えるままに聞くという「耳なり」という言葉が、「耳鳴」という言葉に変化していくのである。

1999/07/18 Sun (No.002)

 

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